湯川秀樹の生い立ちマップ

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湯川秀樹の自伝『旅人』をもとに、生い立ちにまつわる場所をマッピングしてみました。読みながら確認すると、イメージしやすいと思います。


0: 土御門第
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1: 染殿院
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2: 京極殿
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3: 土御門邸
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4: 新京極通
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5: 京都一中への通学路
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6: 京極小学校への通学路
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7: 京極尋常小学校
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8: 沢文旅館
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9: 柳風呂町の円覚寺
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10: 染殿町の家
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11: 清浄華院
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12: 東桜町の家
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13: 朝顔の共進会
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14: 健仁寺
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15: 清和院御門
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16: 梨木神社
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17: 本禅寺
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18: 春日尋常小学校
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19: 久邇宮邸
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20: 荒神様
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21: 双葉もち
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22: 書道家 山本竟山宅
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23: 京都府立第一中学校
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24: 荒神橋
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25: 第三高等学校
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26: 京都大学
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27: 塔ノ段毘沙門町の家
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28: 京都大学基礎物理学研究所
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29: 京都市電 蹴上駅
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30: 日仏学館
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31: 内淡路町の家
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32: 京阪 天満橋駅
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33: 西宮市苦楽園の家
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34: 苦楽園口駅
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35: 松ヶ崎・岩倉
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36: 大阪大学理学部
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37: 下鴨神殿町の家
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38: 下鴨泉川町の家
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Lugares de interés (POIs) del Mapa

0: 土御門第

左京北辺四坊六町
(藤原良房の「染殿」の一部→)具平(ともひら)親王の「土御門第」→村上源氏の本邸。ただし、『小右記』によれば、この町は藤原道長の家領→源行任(ゆきとう)の邸宅。角田文衞著「村上源氏の土御門第」によれば、村上源氏の本邸→源師房→俊房(源俊房の土御門邸は左京北辺四坊三or六町で、この邸には俊房の甥の雅実も同宿していたという)


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1: 染殿院

左京北辺四坊七町 
藤原良房の御殿があったところ。


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2: 京極殿

左京北辺四坊八町


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3: 土御門邸

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藤原道長の邸宅跡。


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4: 新京極通

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京都一の繁華街。幼少期は出歩くのを禁じられていた。
祖父駒橘につれられてよく歩いた。


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5: 京都一中への通学路


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6: 京極小学校への通学路

寺町通の市電を横目に通学した


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7: 京極尋常小学校

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1913(大正2)年、東桜町の家から越境入学して通った小学校。
現在の京都市立京極小学校。
かつて学校の前の寺町通を市電が通っていた。
京極小→京都一中→京大というのがエリート進学コースだった。


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8: 沢文旅館

1908(明治41)年父親が京都大学へ。
東京から京都へ移住。
三条麩屋町上ル西側の沢文旅館へ仮住まい。
現在はすでに旅館はなくなっているが、このあたりと推察される。
→柳風呂町の円覚寺


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9: 柳風呂町の円覚寺

沢文旅館から移った最初の住まい。
境内の一部を借りる。
→染殿町の家


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10: 染殿町の家

柳風呂町から転居。寺町通に面した家。
家主は公家の「つんぼ六条」さん。
→東桜町の家


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11: 清浄華院

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ジョウケン寺と呼んでいた。境内を遊び場としていた。
墓地を駆け回って足を滑らせ転倒し、墓石に頭をぶつける。
倒れて泣いたが、ふと木漏れ日に目を奪われる。
中間子の着想の時にこのエピソードを思い出す。


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12: 東桜町の家

染殿町から転居。
子爵・豊岡圭資の持ち家。
→塔ノ段毘沙門町の家


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13: 朝顔の共進会

祖父・駒橘の朝顔好きに付き合わされる。
四条通を東に数町、花見小路の東北の角に
植木職人の家があった。


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14: 健仁寺

相撲取りで遊んだ


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15: 清和院御門

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左手に長い土塀。右手に大きな榎。玉砂利。
かぶとむし採りの思い出。兄弟たちと書道の稽古に通る。


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16: 梨木神社

 
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緑が美しい。境内には湯川の詠んだ歌碑がある。
「千年の 昔の園も かくやありし 木の下かげに 乱れさく萩」


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17: 本禅寺

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笑い閻魔


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18: 春日尋常小学校

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東東桜町の家の学区からいって、本来入学すべきだった小学校。
両親はここには通わせず、子供をみな京極校へ越境入学させていた。
京極校→京都一中→京大というのが当時のエリート進学コース。
京極校の児童たちは、「カスガッコウ」と呼び馬鹿にしていたという。
現在は御所南小に統合され、校舎が残るだけである。


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19: 久邇宮邸

久邇宮家のお屋敷があったところ。
東桜町の家から屋敷が見えた。
現在は高級ホテルになっている。


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20: 荒神様

縁日には露店でにぎわう。のぞきのからくり。


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21: 双葉もち

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6年時の同級生、黒木平三郎君の実家。
山田先生が腰高まんじゅうの値段を聞いたことで、
担任の塩尻先生との職場結婚がバレてしまった。
現在も「出町ふたば」として営業中。豆大福が名物。
ちなみに腰高まんじゅうは当時一組50銭。


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22: 書道家 山本竟山宅

蛤御門を出て西に入ったこのあたりに
書道の山本先生の家があった。
逆さ文字で教えた。
よく「あなたが一番上手だ」と褒められた。


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23: 京都府立第一中学校

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1919(大正8)年入学。
京都府立洛北高校の前身。
現在京都市立近衛中学校。
校長の森外三郎先生の自由の気風の影響を受ける。
静思館(図書館)に足しげく通う。
画像は昭和20年頃の近衛中学校。


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24: 荒神橋

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中学へ通学する際に通った橋。
橋からは比叡山、大文字山、吉田山を眺めることが出来る。
川上には今出川大橋と北山、川下には丸太町橋が見える。


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25: 第三高等学校

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1923(大正12)年入学。
現京都大学教養学部(吉田南キャンパス)。
一中から森校長転任。9月関東大震災。
西洋哲学にはまる。
理不尽な教師により数学者になる夢を捨てる。


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26: 京都大学

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1926(大正15)年入学。
正門を入り、左手にあるレンガ造り2階建ての留学生センターが、
かつての理学部数学物理教室。
湯川の大学生活はここから始まった。


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27: 塔ノ段毘沙門町の家

1929(昭和4)年頃。
東桜町宅のあと、下鴨などを転々としながら
この家が最終的な実家となる。
場所は未特定だがこのあたりかと思われる。
京都大学を卒業。
→大阪・内淡路町の家


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28: 京都大学基礎物理学研究所

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湯川が研究の場所として通った研究棟。
この自伝『旅人』も朝日新聞の連載として
この研究室で執筆された。
現在は湯川記念館となっており、銅像が立っている。


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29: 京都市電 蹴上駅

日仏学館に通うために利用していた駅。
市電は琵琶湖疏水沿いを走り、
動物園あたりから南へ蛇行する。
現在は廃線となっている。


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30: 日仏学館

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大学時代、フランス語を学ぶために通った学校


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31: 内淡路町の家

1932(昭和7)年湯川スミと結婚し新居を構える。
天満橋駅から京阪で京都大学へ通う。
京都大学理学部講師。
→西宮市苦楽園の家


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32: 京阪 天満橋駅

結婚後、内淡路町の家の最寄り駅。ここから京大へ通う。


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33: 西宮市苦楽園の家

1933(昭和8)年大阪の内淡路町から転居。
→下鴨神殿町の家


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34: 苦楽園口駅

苦楽園の家の最寄り駅。


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35: 松ヶ崎・岩倉

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このあたりの裏山でうさぎ狩りをする。
友人らがうさぎの足を折る音が嫌いだった。


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36: 大阪大学理学部

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1934(昭和9)年、大阪大学理学部専任講師となる。
中間子の存在を予見する研究。
阪大理学部は、1964(昭和39)年に豊中へ移転するまで
ここ中之島にあった。
現在、理学部跡地は大阪市立科学館となっている。
画像は中之島の理学部屋上にて。後列左端が湯川。


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37: 下鴨神殿町の家

1943(昭和18)年、西宮苦楽園から
京都市左京区下鴨神殿町18番地に転居。
→下鴨泉川町の家


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38: 下鴨泉川町の家

1958(昭和33)年、下鴨神殿町から下鴨泉川町6-5に転居。
1981(昭和56)年永眠するまで居住。


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