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0: 【南部】姓の発祥地
甲斐国巨摩郡南部郷(現山梨県南部町)
清和源氏武田氏流の小笠原遠光・三男の源光行が南部郷を領して「南部」を名字として呼称。
南部氏はその後、源頼朝の奥州征伐で功を挙げて東北地方に勢力を広げ、大豪族・大名となっていく。
Más sobre 【南部】姓の発祥地2: 【愛甲】姓の発祥地
相模国愛甲郡愛甲荘(現神奈川県厚木市愛甲)
敏達天皇(第30代帝)の末裔で本姓・小野。平安時代後期発祥の同族的武士団・武蔵横山党の小野隆兼が愛甲荘を拝領したか。いずれにしても平安末期~鎌倉時代にかけて小野姓の一族が愛甲荘を領して愛甲氏を呼称。和田合戦で敗れて所領を没収されて、大隅国に逃れて島津氏の家臣となる。江戸期の薩摩藩士にも愛甲氏多し(郷士を含め)。
■1000年たどる家系図 Más sobre 【愛甲】姓の発祥地3: 【赤松】姓の発祥地
播磨国佐用荘赤松村(現兵庫県赤穂郡上郡町赤松)
村上源氏山田氏流の山田家範が佐用荘内の赤松村に居住して赤松氏を呼称。播磨を中心に中世~戦国期に大きな盛衰を見せた。関ヶ原を機に本流は衰退するも庶流が異なる名字となって多く存続している。
Más sobre 【赤松】姓の発祥地5: 【竹ヶ原】姓の発祥地
陸奥国北郡相坂村(現青森県十和田市相坂)
十和田市に集中している名字。
由来は、竹藪の中に作られた家というものだが、竹ヶ原宗家は旧村の肝入りを務める名家。南北朝時代に南朝に仕え長慶帝(第98代帝 南朝の天皇)に従ってこの地に来たと古伝にみえる。九州から来たとの言い伝えもあり。
Más sobre 【竹ヶ原】姓の発祥地6: 【足利】姓の発祥地
下野国足利郡足利荘(栃木県足利市)
この「足利荘」を拠点として二つの「足利氏」が生まれた。室町幕府を開く清和源氏系の足利氏と、本姓が藤原の藤原姓足利氏である。
藤原姓足利氏は源平合戦の際に平家方に属していて没落。完全に清和源氏系足利氏に取ってかわられる格好になる。
しかし、藤原系の足利氏は同じ下野国・上野国に佐野氏(佐野荘=現佐野市)など多くの支流を残し新たな名字を生んでいる。
Más sobre 【足利】姓の発祥地8: 【伊東】姓の発祥地
伊豆国伊藤荘(現静岡県伊東市)
藤原南家流の工藤維職が伊豆押領使に任ぜられて伊東荘に居住し伊東氏を呼称した。平安時代のこと。
末裔は備中国岡田藩主や日向国に地頭職を得て日向国飫肥藩主となるなど江戸期まで大名として栄えた。この伊東氏族は家紋が元の工藤氏に因む「庵木瓜」である事が特徴。
Más sobre 【伊東】姓の発祥地9: 【渡辺】姓の発祥地
摂津国西成郡渡辺(現大阪市久太郎町)
嵯峨源氏の源綱(みなもとのつな)が西成郡渡辺を領して渡辺氏を呼称(平安時代のこと)。この一族は名前が一文字であることが特徴的。また、家紋は「渡辺星」と呼ばれる丸の形が三つと一の文字が下に組み合わされたもの。大坂という地の利を活かして末裔は海軍として活躍。全国に広まった。
Más sobre 【渡辺】姓の発祥地10: 【伊藤】姓の発祥地
伊勢国
平安期に最大の権力を誇った藤原氏族の末裔で藤原基景が伊勢守に任じられて「伊勢の藤原氏」の意味で伊藤氏を呼称(平安時代)。その基景と末裔は平家の家臣として「平治の乱」「源平合戦」で大いに奮闘した。
非常に繁栄して全国に広まっているのはご存じの通り。尚、「伊東」姓は伊豆の伊東荘発祥であり、同じ藤原姓であるが名字の地は別である。
Más sobre 【伊藤】姓の発祥地11: 【戸沢】姓の発祥地
陸奥国岩手郡雫石荘戸沢(現岩手県雫石町)
桓武平氏貞盛流の平兼盛が、源頼朝の奥州征伐に従い雫石荘戸沢邑を拝領して戸沢氏を呼称。戸沢館に居住した。本流は江戸期まで大名として存続した名族。
Más sobre 【戸沢】姓の発祥地12: 【戸村】姓の発祥地
常陸国那珂郡戸村郷(現茨城県那珂市戸)
清和源氏の佐竹義倭が那珂郡戸村郷を領して戸村氏を呼称。関ヶ原合戦後に宗家である佐竹家が出羽国秋田藩に移封されたときに随従。
また、藤原姓秀郷流の江戸氏も同地を領してやはり戸村氏を呼称している。
Más sobre 【戸村】姓の発祥地13: 【新田】姓の発祥地
上野国新田郡新田荘(現群馬県太田市)
清和源氏義家流の源義重が、平安末期に新田荘を立荘して新田氏を呼称。
隣国の足利氏とは同じ源義家(八幡太郎)の末裔ながらライバル関係。新田義家が源平合戦において平家方だったため鎌倉幕府からは冷遇された。
Más sobre 【新田】姓の発祥地14: 【脇坂】姓の発祥地
近江国浅井郡脇坂(現滋賀県湖北町)
藤原氏族の藤原安明(小谷城の戦国大名・浅井長政に仕えた)が浅井郡脇坂に居住して脇坂氏を呼称。比較的新しい名字といえる。その子・脇坂安治は羽柴秀吉に仕えて、天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦で「七本槍」と呼ばれるほどの戦功を挙げる。
Más sobre 【脇坂】姓の発祥地15: 【浅野】姓の発祥地
美濃国土岐郡浅野(現岐阜県土岐市浅野)
清和源氏の美濃守護・土岐光行が土岐郡浅野を領して浅野氏を呼称。鎌倉時代のことである。当地には浅野館があった。この浅野氏の系統は江戸期まで広島藩他の大名家として繁栄していく。忠臣蔵で有名な播磨赤穂藩主・浅野長矩(内匠頭)もこの系統。
Más sobre 【浅野】姓の発祥地17: 【太田】姓の発祥地
丹波国桑田郡佐伯荘隼人保太田郷(現京都府亀岡市ひえ田野太田)
清和源氏の多田資国が桑田郡太田郷を領して太田氏を呼称(鎌倉時代)。丹波上杉荘の地頭であった上杉氏に仕え、その上杉氏が関東管領となったために従って鎌倉に下向。そのため中世に関東で活躍。太田道灌が有名。
Más sobre 【太田】姓の発祥地18: 【鈴木】姓の発祥地
紀伊国熊野権現新宮の社家。
熊野の古伝によれば、熊野権現が龍に乗って降臨した際に出迎えた物部氏の物部基行が穂積姓を賜った。熊野では穂積(積まれた稲穂)のことを「ススキ」と呼んだことから鈴木姓になったという。
Más sobre 【鈴木】姓の発祥地19: 【鈴木】姓の発祥地
紀伊国名草郡鈴木郷(現和歌山県和歌山市平井)
名草郡鈴木郷を本拠地として鈴木氏を呼称した一族が、戦国時代に近隣土豪を結集して鉄砲を武器に「雑賀党」を結成。頭領の鈴木孫市は織田信長の本願寺攻撃の際に本願寺側に与力した。
末裔は江戸期には水戸藩に仕えて存続した。
Más sobre 【鈴木】姓の発祥地20: 【秩父】姓の発祥地
武蔵国秩父郡中村郷(現埼玉県秩父市)
桓武平氏良文流の村岡将常が平安時代に秩父郡中村郷を領して秩父氏を呼称。武蔵国を代表する中世の同族的武士団となる。現在まで秩父姓を保っている家は少なく、関東各地の別の地名に拠った名字として存続し繁栄し、現在でも関東では大元は秩父氏になる家は多いとみられる。
Más sobre 【秩父】姓の発祥地21: 【佐藤】姓の発祥地
佐渡国(現新潟県佐渡市)
藤原姓秀郷流の藤原公行が平安時代後期に「佐渡守」に任じられて「佐渡の藤原氏」の意味で佐藤氏を呼称した。
その他に「左衛門尉の藤原氏」から来ている説や、下野国佐野荘を領して「佐野荘の藤原氏」から来ている説などがある。
但し、いずれも藤原氏族の藤原秀郷の末裔の系統である事には変わりない。
この佐藤氏は東北を中心に全国的に広がる。
Más sobre 【佐藤】姓の発祥地22: 【渋谷】姓の発祥地
相模国高座郡渋谷下郷(現神奈川県藤沢市長後)
桓武平氏秩父氏流の河崎重国が、源頼朝に随従して戦功があり渋谷下郷を領して渋谷氏を呼称した。
Más sobre 【渋谷】姓の発祥地23: 【富田】姓の発祥地
武蔵国児玉郡富田(現埼玉県本庄市西富田)
平安時代後期に発生した同族的武士団・武蔵七党中の児玉党・児玉親家が児玉郡富田を領して富田氏を呼称。
この親家は和田義盛の乱(1213年)において和田側に付き鎌倉幕府と敵対し生け捕りにされた。
しかし、富田親家は強力の持ち主で、将軍・源実朝の前で大鹿の角二本を一度にへし折ってみせた。将軍を感心させ、それがために囚われの身を解かれ所領まで与えられたという。
Más sobre 【富田】姓の発祥地24: 【佐久間】姓の発祥地
安房国平群郡佐久間郷(現千葉県鋸南町佐久間)
桓武平氏良文流の三浦家村が平群郡佐久間郷を領して佐久間氏を呼称。和田義盛の乱(1213)に和田側で敗れ、承久の乱(1221)においても京方になり敗れ、越後国、尾張国へと落ちていった。
しかし、戦国時代には織田信長の重臣として頭角を現した。
Más sobre 【佐久間】姓の発祥地25: 【上杉】姓の発祥地
丹波国何鹿郡上杉荘(現京都府綾部市上杉町)
藤原氏北家の藤原重房が鎌倉時代初期に何鹿郡上杉荘を領して上杉氏を呼称した。その後、宗尊親王に従って鎌倉に下向、足利氏と親密な関係を構築していく。
この上杉氏は居住地名をとって「扇谷上杉氏」「宅間上杉氏」「山内上杉氏」「犬懸上杉氏」に分かれ、中世関東を舞台に一族間での抗争も激しさを増していく。
Más sobre 【上杉】姓の発祥地27: 【毛受】姓の発祥地
尾張国中島郡毛受村(現愛知県一宮市大和町毛受)
戦国時代に源姓という茂左衛門・家照の兄弟が中島郡毛受村を領して毛受(めんじょ)氏を呼称した。はじめ柴田勝家に仕え、後に末裔は加賀藩士となった。
Más sobre 【毛受】姓の発祥地28: 【倉野】姓の発祥地
薩摩国薩摩郡樋脇郷倉野村(現鹿児島県薩摩川内市樋脇町倉野)
桓武平氏の渋谷光重は宝治合戦(1247)で戦功を挙げて北薩摩各地の地頭職を得ると光重は自身の子供たちを地頭として下向させた。薩摩郡樋脇郷倉野村を与えられた渋谷範幹が倉野氏を呼称した。
Más sobre 【倉野】姓の発祥地29: 【伊集院】姓の発祥地
薩摩国日置郡伊集院(現鹿児島県日置市伊集院)
薩摩守護・島津氏の庶流で島津俊忠が日置郡伊集院の地頭職に任ぜられる。その子・久兼が伊集院氏を呼称した(鎌倉時代後期のこと)。南北朝期には本宗の島津氏に攻められた。
江戸期には薩摩(島津)藩の支藩・佐土原藩の番頭家となる。
Más sobre 【伊集院】姓の発祥地30: 【島津】姓の発祥地
薩摩国島津荘(現鹿児島県~宮崎県にまたがる大荘園)
惟宗忠久が文治元年(1185)に源頼朝から薩摩国島津荘の惣地頭職を拝領して島津氏を呼称。
その後の九州での武家としての活躍は語るまでもないが、鎌倉時代に信濃国太田荘なども拝領して越前守護にもなっている。
Más sobre 【島津】姓の発祥地31: 【前田】姓の発祥地
尾張国愛知郡前田郷(現愛知県名古屋市中川区富田町前田)
加賀百万石の大名として著名な前田氏は菅原道真の末裔で本姓は菅原姓という。
尾張国愛知郡前田郷を領して前田氏を呼称した。しかし、大宰府近隣の前田という地を領して前田氏となったという説もある。
Más sobre 【前田】姓の発祥地32: 【益子】姓の発祥地
下野国芳賀郡益子郷(現栃木県益子町)
古代氏族である紀氏の紀正隆が平安時代に芳賀郡益子郷を領して益子氏を呼称。非常に歴史の古い名族で、現在も北関東に益子姓は多く残る。
Más sobre 【益子】姓の発祥地33: 【新発田】姓の発祥地
越後国蒲原郡加地荘新発田(現新潟県新発田市)
宇多源氏佐々木氏流から発生した越後国・揚北衆(阿賀北衆)の加地氏が新発田城主となって新発田氏を呼称。
戦国大名として活躍するも上杉景勝に滅ぼされて大名家としては滅亡した。
Más sobre 【新発田】姓の発祥地34: 【佐々木】姓の発祥地
近江国蒲生郡佐々木荘小脇(現滋賀県八日市市小脇町)
宇多源氏の源成頼が父・扶義の任国地の近江に下り、その孫・源経方が近江国佐々木荘内小脇に居住して佐々木氏を呼称。平安時代末期のこと。
日本の名族中の名族で、この一族からさらに色々な名字を生み出している。「京極」「六角」など戦国期を彩った一族もこの佐々木氏流。
もちろん、佐々木の名字もそのまま現在まで残っている。
Más sobre 【佐々木】姓の発祥地35: 【奥田】姓の発祥地
尾張国中島郡奥田(現愛知県稲沢市奥田町)
清和源氏足利氏流の斯波持種が中島郡奥田を領して奥田氏を呼称。室町時代のこと。
その末裔・奥田直政は織田信長、豊臣秀吉に仕え「堀」姓に改称した。
子孫は3家が江戸期の大名として存続(越後村松、越後椎谷、信濃須坂)した。
Más sobre 【奥田】姓の発祥地36: 【三浦】姓の発祥地
相模国三浦郡(現神奈川県三浦市など)
桓武平氏良文流の村岡為通が、前九年合戦(1063年)で戦功を挙げて源頼義から相模国三浦郡を拝領して三浦氏を呼称した。
その後も三浦氏は源頼朝の挙兵に応じ、源氏方として活躍。鎌倉幕府の武士団で中心的な存在となる。
源氏方についたのは、源氏(源姓)だけでなく三浦氏のような平姓(平氏)もいるということです。
Más sobre 【三浦】姓の発祥地37: 【村田】姓の発祥地
下総国香取郡村田(現千葉県成田市村田)
桓武平氏千葉氏流の国分有通が香取郡村田を領して村田氏を呼称した。鎌倉時代初期か。
祖父の千葉常胤が下総国の有力な在庁官人である。この辺りはそうした千葉氏族が各々領地名を取って新たな名字を発祥させているケースが多い。
Más sobre 【村田】姓の発祥地38: 【玉置】姓の発祥地
大和国吉野郡玉置荘(現奈良県十津川村玉置川)
桓武平氏の平資平が、源平合戦の後に吉野郡玉置荘に土着して玉置氏を呼称したというが、異説もある。
Más sobre 【玉置】姓の発祥地40: 【俣野】姓の発祥地
相模国高座郡俣野郷(現神奈川県横浜市戸塚区俣野町)
桓武平氏の大庭景久が、高座郡俣野郷を領して俣野氏を呼称。平安時代末期のこと。
石橋山の合戦では、源頼朝と敵対した。
Más sobre 【俣野】姓の発祥地41: 【千葉】姓の発祥地
下総国千葉荘(現千葉県千葉市)
桓武平氏良文流の平忠常は、上総・下総に所領を広げ、その末裔の平常兼が私領を鳥羽天皇に寄進して千葉荘が立荘された。平安時代後期のことで、これにより千葉氏を呼称した。
一族は大変に繁栄し、戦国期に小田原・北条氏に属し、北条氏の滅亡と運命を共にした。
Más sobre 【千葉】姓の発祥地42: 【宮里】姓の発祥地
薩摩国薩摩郡宮里郷(現鹿児島県薩摩川内市宮里町)
本姓が「紀」の紀一族のなかで、薩摩郡宮里郷の郷司を世襲した一族が宮里氏を呼称した。平安時後期のこと。
尚、同じ宮里郷を領して「宮里」を呼称した島津氏の系統もある。
Más sobre 【宮里】姓の発祥地43: 【円井】姓の発祥地
甲斐国巨摩郡円井(現山梨県韮崎市円野町上円井・下円井あたり)
清和源氏武田氏の甲斐武田氏5代当主・武田信光の子・光経が巨摩郡円井に居住して円井(つぶらい)氏を呼称。鎌倉時代初期の頃。
Más sobre 【円井】姓の発祥地44: 【赤坂】姓の発祥地
陸奥国東白川郡赤坂村(現福島県鮫川村赤坂中野)
清和源氏石川氏の庶流・蒲田賀尾房が、赤坂館主となり赤坂氏を呼称。南北朝の頃。戦国期には赤坂氏は佐竹氏に従うようになる。
Más sobre 【赤坂】姓の発祥地45: 【熊谷】姓の発祥地
武蔵国大里郡熊谷郷(現埼玉県熊谷市)
桓武平氏の平直季が、大里郡熊谷郷を領して熊谷氏を呼称。平安時代のこと。
この一族は、鎌倉幕府御家人になった系統の他、近江国浅井郡に土着した近江熊谷氏、陸奥国気仙沼郷(現宮城県気仙沼市)に赴いた陸奥熊谷氏など、元の地名から遠く離れて各地で活躍した。
Más sobre 【熊谷】姓の発祥地46: 【栗原】姓の発祥地
甲斐国山梨郡栗原郷(現山梨県山梨市上栗原・下栗原)
清和源氏武田氏流の武田武続が、山梨郡栗原郷を領して栗原氏を呼称した。
武田一族は栗原氏も含め、戦国末期の武田氏滅亡に伴い各地に散り土着している。武蔵国入間郡に栗原姓が多いが、この一族の末裔という説もある。
Más sobre 【栗原】姓の発祥地47: 【寒河江】姓の発祥地
出羽国寒河江荘(現山形県寒河江市)
元朝廷家臣だった大江広元(鎌倉幕府執権)が源頼朝に従い、奥州征伐後に寒河江荘を拝領。
子の親広が、承久の乱(1221年)で京方に付いたために出家して寒河江荘で蟄居した。その末裔が寒河江氏を呼称するようになった。
Más sobre 【寒河江】姓の発祥地48: 【磐城・岩城】姓の発祥地
陸奥国磐城郡(現福島県いわき市)
桓武平氏国香流の平則道の末裔が、磐城郡を領して磐城氏を呼称。平安時代のこと。
現いわき市域で武家として活躍してきたが、戦国時代後期には常陸の大名・佐竹氏に臣従した。
しかし、小さいながらも江戸期の大名家として存続した。
Más sobre 【磐城・岩城】姓の発祥地49: 【岩倉】姓の発祥地
京都岩倉(現京都市左京区岩倉)
村上源氏の公家・久我具堯が京都岩倉に居住したことに始まるった名字。江戸時代初期のことで比較的新しい名字といえる。
幕末~明治初期には末裔の岩倉具視が活躍したことで有名。
Más sobre 【岩倉】姓の発祥地50: 【岩崎】姓の発祥地
陸奥国磐前郡(現福島県いわき市小名浜)
いわき市域で発祥した桓武平氏磐城氏流の磐城隆久が磐前(いわさき)郡を領して磐崎氏を呼称。そこから「岩崎」の文字に転化していったもの。
Más sobre 【岩崎】姓の発祥地51: 【岩崎】姓の発祥地
甲斐国岩崎(現山梨県勝沼町上岩崎・下岩崎)
清和源氏武田氏流の武田信光の子・信隆が甲斐国岩崎を領して岩崎氏を呼称。鎌倉時代前期のこと。
Más sobre 【岩崎】姓の発祥地52: 【小山】姓の発祥地
下野国小山荘(現栃木県小山市)
藤原姓秀郷流の藤原政光が小山荘に館を構えて小山氏を呼称した。平安時代末期のこと。
源頼朝に仕え戦功を挙げ、この周辺に広大な領土を構え中世下野国の大豪族となっていった。
Más sobre 【小山】姓の発祥地53: 【種子島】姓の発祥地
大隅国熊毛郡種子島(現鹿児島県西之表市・中種子町・南種子町)
中世の種子島・島主の姓。
平清盛の末裔で平姓という事になっているが、実際は鎌倉北条氏一族の被官という説がある。
戦国時代から島津氏に従った。
Más sobre 【種子島】姓の発祥地54: 【田丸】姓の発祥地
伊勢国度会郡田丸(現三重県玉城町田丸)
清和源氏武田氏流の末裔が度会郡田丸を領して田丸氏を呼称した。伊勢国司の北畠氏から養子が入り村上源氏北畠流となる。
関ヶ原では西軍に加担して衰退。しかし、末裔は大聖寺藩士などとして存続する。
Más sobre 【田丸】姓の発祥地55: 【堀口】姓の発祥地
上野国新田荘堀口郷(現群馬県太田市堀口町)
清和源氏新田氏流の新田家貞が新田荘堀口郷を領して堀口氏を呼称。鎌倉時代のこと。
当然、新田氏の鎌倉攻撃に加わった。
南北朝で一族の多くは滅亡するも、現山梨県等に末裔と伝わる一族がある。
Más sobre 【堀口】姓の発祥地56: 【里見】姓の発祥地
上野国碓氷郡里見(現群馬県高崎市上里見町・中・下里見町)
清和源氏新田氏流の源義俊が碓氷郡里見を領して里見氏を呼称。平安時代末期のこと。
その後は、戦国期に安房国を支配した安房里見氏の系統が著名。しかし、安房里見氏の安房入国の経緯など不明な点も多い。
Más sobre 【里見】姓の発祥地57: 【大村】姓の発祥地
肥前国彼杵郡大村郷(現長崎県大村市)
藤原純友の子・直澄が天慶の乱後に彼杵郡大村郷に土着して大村氏を呼称したと伝わる。つまり、平安時代中期に発祥した古い姓といえる。
大村氏の末裔からは有馬氏などの名族も輩出。
大村一族は江戸時代まで九州の名門武家として存続した。
Más sobre 【大村】姓の発祥地58: 【有馬】姓の発祥地
肥前国高来郡有馬荘(現長崎県南島原市南・北有馬町)
藤原純友の末裔で肥前国彼杵郡大村郷に土着した大村氏族の分流。鎌倉時代に大村経澄が有馬荘の地頭となり有馬氏を呼称した。
豊臣秀吉に従い、キリシタン大名としても著名。
Más sobre 【有馬】姓の発祥地59: 【松浦】姓の発祥地
肥前国宇野御厨(現長崎県松浦市など)
嵯峨源氏の渡辺綱の子・渡辺久が摂津国渡辺荘から肥前国宇野御厨の検校・検非違使として現松浦市今福に下向して土着したことに始まる。
地の利を活かして水軍として活躍。源平合戦から戦国期まで水軍として名を馳せる。
海運を生業としただけに、末裔も全国に散らばった模様。
Más sobre 【松浦】姓の発祥地60: 【益田】姓の発祥地
石見国美濃郡益田荘(現島根県益田市)
藤原北家の藤原国兼が石見国に下向し、末裔が源義経に従い美濃郡益田荘を領して益田氏を呼称した。
以後、石見国に大きな勢力を持つ。
Más sobre 【益田】姓の発祥地61: 【多根】姓の発祥地
石見国益田荘多根(現島根県雲南市掛合町多根)
益田荘(現島根県益田市)を領して中世の石見国に勢力を持った益田氏の分流が益田荘多根を本拠として多根氏を呼称した。本姓は藤原。
Más sobre 【多根】姓の発祥地62: 【石川】姓の発祥地
陸奥国石川郡泉荘(現福島県石川町)
清和源氏頼親流の源有光が石川郡泉荘を領して石川氏を呼称。平安時代末期のこと。
周辺には佐竹氏、結城氏、伊達氏などの強豪がひしめき苦労しながらも戦国期を生き延びる。豊臣秀吉への臣従が遅れたせいか、江戸時代を大名として存続する事は叶わなかった。
Más sobre 【石川】姓の発祥地63: 【赤坂】姓の発祥地
陸奥国白川郡石川荘赤坂村(現福島県鮫川村赤坂中野)
清和源氏の源有光が平安時代末期に石川郡泉荘を領し石川氏を呼称して石川郡の豪族となったが、その支流が赤坂村に館を構えて赤坂氏を呼称した。戦国時代には常陸国の大名・佐竹氏に臣従した。
Más sobre 【赤坂】姓の発祥地64: 【武田】姓の発祥地
常陸国那珂郡武田郷(現茨城県ひたちなか市)
武田信玄で有名な武田氏は、甲斐国ではなく常陸国那珂郡武田郷を「名字の地」として発祥した。
清和源氏の源義清が武田郷に居住したのが始まり。現在はその武田郷の名前が残っておらず、旧勝田市東部と比定されている。
Más sobre 【武田】姓の発祥地65: 【温井】姓の発祥地
能登国鹿島郡温井(現石川県七尾市温井町)
室町時代の能登守護・畠山氏の重臣だった温井備中守の祖先がここに居住していたために「温井」の地名になったともいうが、逆に地名が先にあって温井氏を呼称したとも考えられる(一般的にはそのケースが多い)。
温井氏の大元の出自は、藤原姓桃井氏と伝わる。
Más sobre 【温井】姓の発祥地66: 【本郷】姓の発祥地
若狭国大飯郡本郷(現福井県おおい町本郷)
源朝親は鎌倉幕府の御家人だが、承久の乱(1221年)の後に大飯郡本郷に居住して本郷氏を呼称した。出自は村上源氏か清和源氏か、はっきりしない。
末裔は、足利尊氏、織田信長に仕え、さらに江戸幕臣にもなっている。凄く目立ちはしないが、日本史の中心にいつもいる感じの武家である。
Más sobre 【本郷】姓の発祥地68: 【土屋】姓の発祥地
相模国大住郡土屋(現神奈川県平塚市土屋)
桓武平氏の中村宗遠が、大住郡土屋を領して土屋氏を呼称。
その土屋(中村)宗遠は、源平合戦において源頼朝の旗下で参戦。鎌倉幕府御家人となります。
末裔は江戸幕臣になるも、庶流は中世の時代に武蔵国、陸奥国、佐渡国、加賀国、甲斐国などに移住している。
Más sobre 【土屋】姓の発祥地69: 【土肥】姓の発祥地
相模国足柄下郡土肥郷(現神奈川県湯河原町土肥)
桓武平氏の中村実平が、足柄下郡土肥郷を領して土肥氏を呼称した。
その土肥(中村)実平は源頼朝の旗下となって源平合戦を戦い、その戦功で相模国山内荘も拝領。
しかし、孫・維平が和田合戦で和田義盛側に付いたために山内荘は召し上げられてしまった。
末裔は安芸国に移り小早川氏となる。
Más sobre 【土肥】姓の発祥地70: 【長谷場】姓の発祥地
藤原純友(平安時代の貴族であり海賊)の子・藤原直純が鹿児島郡司となり、末裔の永純が同郡長谷場村に因み長谷場氏を呼称。
但し、長谷場村の正確な位置は分からず鹿児島郡内にあったという記録しかない。現鹿児島域と思われる。
Más sobre 【長谷場】姓の発祥地