北朝鮮強制収容所 自分なりに推測した所もあります。
0: 北倉18号管理所 Ver detalle |
1: 价川14号管理所 Ver detalle |
2: 会寧22号管理所 仲峰地区 Ver detalle |
3: 耀徳15号管理所 Ver detalle |
4: 化城16号管理所 Ver detalle |
5: 勝湖里26号管理所 Ver detalle |
6: 龍川29号管理所 Ver detalle |
7: 寧辺?号管理所 Ver detalle |
8: 両江道149号管理所 Ver detalle |
9: 穏城13号管理所 Ver detalle |
10: 平安南道17号管理所 Ver detalle |
11: 会寧22号管理所 四乙地区 Ver detalle |
12: 端川19号管理所 Ver detalle |
13: 輸城25号管理所 Ver detalle |
14: 天摩27号管理所 Ver detalle |
15: 穏城12号管理所 Ver detalle |
16: 鏡城11号管理所 Ver detalle |
17: 会寧22号管理所 屈山地区 Ver detalle |
18: 徳城23号管理所 Ver detalle |
19: 慈江道熙川管理所 Ver detalle |
朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所。社会安全部の傘下にあり、収容者数は約5万人。主に14号管理所に収監されている収容者の家族らで構成されている。国家保衛部監視下の収容所に比べると比較的自由があるが、その反面、公開処刑等も頻繁に行なわれている。姜成山元総理の娘婿である康明道、対南担当秘書であった金容淳(故人)がこの地に収監されたことがある。
朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所。国家保衛部が運営しており、長さ40~50km、幅30kmの広大な敷地を持つ。ここで生まれ育った元政治囚申東赫氏がこの地を脱走、韓国へ亡命したことにより14号管理所の名がクローズアップされた。14号管理所は約15000人が収容されている。目印地点は炭鉱駅付近。
朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所。国家保衛部の傘下にあり、敷地面積は北朝鮮最大。収容者数は約50000人。解体されたという噂もある。目印の仲峰地区には炭鉱があり、会寧中心地へ石炭を搬出している。
朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所。国家保衛部の傘下にあり、正式名称は朝鮮人民警備隊第2915軍部隊である。当区域は革命化区域と完全統制区域が南北に走る山稜を境にして分けられている。大韓航空機爆破事件の金賢姫の父母がここに収容されている。
朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所。咸鏡北道化城郡の山間部に位置している。2006年12月22日に収容者120人が集団脱走をして大きな事件となった。また豊渓里核実験場からは至近距離にあり、収容者は核実験場の「大建設」に動員され、帰ってきた者は1人もいないと言われる。
朝鮮民主主義人民共和国の旧強制収容所。規模は他の収容施設と比べると比較的狭い。行政区域は平壌市勝湖区域にあり、平壌市中心地から近いために機密漏洩を恐れ、1990年に解体された。収容所の中心地は貨泉洞という所である。(目印の場所)
核施設のある寧辺には以前から収容所があると言われていたが、禿山の度合、家屋の分布等を見るとこの辺りが収容施設として想定される。ちなみに収容施設の面積は171㎢とかなり広い。
目印の周辺は両江道の"三水甲山地域"といわれており、北朝鮮国内では「山間部へ追放」イコール「三水甲山へ行く」という隠語まである。
確信はできないが、北にある両江道庁恵山市から南へ下るとガラッと雰囲気が変わる。境界線らしき物もあることからこの地域は収容施設ではないかと思われる。
1990年に閉鎖された強制収容所で、広さは隣接する12号管理所を含めて250 ㎢と広大であった。豊川里、東浦里一帯が13号管理所の範囲内である。目印の地点はは豊川里区域である。
18号管理所と隣接している収容所で、18号同様、社会安全部が運営しており、周囲には鉱山が多い。17号管理所には政治囚の罪状によって統制区域と解除区域がある。また囚人に対して給与も支払われているらしい。大同江の岸には脱出防止用(?)の障壁が見える。
管理所本部の行営地区から西側、仲峰地区から南側に位置している。四乙地区から西に進むと、監視棟のある境界線があり、その向こうには弓心炭鉱がある。
別名"輸城教化所"とも呼ばれている。清津市街地から離れた山奥に位置しており、収監者は平壌の26号管理所から移管された人達が占めている。収容者数は1500人程度。