深山邸 - 遊郭跡・赤線マップ (sitios de interés)

Descripción del sitio

旧神岡鉱山での採掘のため労働者がひしめいた明治末期、町中心部の花園町一帯に花街が生まれた。木造二階建ての旧深山邸は、その一つ。遊郭「深山楼」の名で、一九三二(昭和七)年の大火で焼失したが、翌年に再建した。一階には「顔見せの間」があり、戸外から内部がのぞける間隔の広い格子は、女性たちが横並びで客待ちした遊郭の名残を残す。五八(昭和三十三)年に売春防止法が施行されると、その後の十年間は料亭に衣替えし、芸妓(げいこ)らがお座敷で華やかな芸を披露した。
 料亭の後に民家として使われた旧深山邸は、所有者が手放し、六年前に飛騨市に所有が移った。町の歴史を伝え、遊郭の面影を残す数少ない建物だが活用の機会がないのはもったいないと、当番会が市に許可を得て内部を整備した。当番会の水辺匡志さん(29)は「祭りを機に、神岡にもこんな時代があったことを知ってもらいたい」と話す。
 花街が消えた後も、昭和四十年代の鉱山最盛期に一帯には百人近い芸妓がいたという。深山邸には最後の芸妓が残した扇子、かつら、着物、三味線、キセルといった道具があり、公開を機に展示する。
 遊郭が生まれた背景が分かる明治四十年の県知事宛ての遊郭新設請願書も残され、鉱山町のにぎわいから「治安維持のため遊郭が必要」と記されている。

Mapa del lugar de interés 深山邸

Panorámica interactiva con Google Street View

fotografía panorámica de 深山邸, con el API de Google Street View

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